『木鉢の汚れ具合で、打手の技量がわかる』
なんて話をチラッと小耳に挟んでドキリ!そしてやはり。
蕎麦打ち一回毎に大なり小なり発見や不思議に思う事はありますが
その一つ、捏ね終わった後の木鉢の汚れがずっと気になっていて。
休日を利用して、美味しい!と思うお蕎麦屋さんに
日頃の疑問の解消を期待して仕事を見に行くことがあるのですが、
大体そういったお店は仕事も美しく、そして肝心の木鉢も汚れていない。
…なぜ?!
おいおい、一体何を見に行っているんだ、なんて叱られてしまいますが
結局のところ『鉢』の仕事、『水回し・くくり・捏ね・へそだし』は、
やはり感覚的、経験的なところが大きいと思われます。
それが『一鉢』と言われるゆえんの難しさ。
いや、決して言い訳ではございません!たぶん。
と言うことで、諸先輩方のような美しい仕事ができるように、
もっともっと良い蕎麦が打てるように日々精進!でございます。
で、それだけ?と言われちゃいけませんので、
さてここからは、私個人の勝手な考察備忘録ですのであしからず、
と先に逃げておいて、そう思うポイントはいかに。
見て聞いて読んで調べて、そして自分で打ってみて、
木鉢の汚れが少なく捏ねれた時の事を思い返してみると、
- 加水がピタリあった。
- 水回しが優しく丁寧にできた。
- くくりまでに要した時間が長すぎでも短すぎでもなかった。
すなわち、その時々の蕎麦の状態にあった適正加水量を見極めて
極僅かの調整を残しながら、なるべく一度で適正量まで加水してあげること、
(調整量を少なくして一度で加水すると考える理由はまたどこかで)
そして調整は『なるべく早い段階』でしてあげること、
水回しを優しく丁寧に『根気良く』決して急いて力で撚らないこと、
適度なスピードで徐々に粘度を引き出してあげること、
が良いのではないかと思います。
ええっと…、やはり感覚的な話ばかりで恐縮です、はい。
仕事の時間にしてわずか10分弱のことなのですが、
例えるなら、木鉢での蕎麦は何と言うか、
まるで高校生に成長するまでの我が子を見ているかのよう(妄想)です。
(子供まだいないので…生意気言ってます!)
水をあげすぎればズルズルユルユルベタベタ、
ある意味では融通利きますが、もうちょっとシャキッとしようよ、と。
逆に水が少なければガッチガチの頑固者に。
水回しを雑にすればどこか拗ねた、ちょっと食えない粉っぽい蕎麦に。
根気良く優しく水をまわさずに、急いて力尽くに撚りをかけちゃえば、
水を多く含んだ部分が先に糊化して、これまたなんだよなんて拗ねだして、
みんなと逸れて木鉢にべっちょりしだしたり。
まだまだ人生経験の少ない私にはなかなか悩ましいところではありますが
それでも少しずつ、う~む…なんて唸りながら。
その甲斐あってか、段々と木鉢の汚れも少なくなってきているんです。
いや本当。(たまにバシッと決まるときだって…!)
と、まぁ、こんな事も考えいてた時期があったなんて笑えるように、
明日も頭を抱えながら、愛しい我が粉と向かいあうわけです。